観測者を観測する者の謎

 

いつもお世話になっております。

 

まなお でございます。

 

この考察シリーズは波動調整®に興味を持って頂いた

本当に熱心な読者の方ばかりで嬉しい限りです。

 

さて、それでは今日も波動調整®についての

リアルなところを語って行きたいと思います。

 

 

前回までのおさらい

 

前回まで『時間』という切り口から

瞬間的に起こる『変化』・効果の『持続』という話をしてきました。

 

(前回記事はコチラ:波動的な身体の変化とヒーリング効果の持続

 

人はただ存在しているだけで、場と共振し影響しあっている

 

何かを“する”ことで働きかけ影響を与える前に

ただ“在る”ことによって毎瞬、影響を与え合っている。

 

いつの瞬間も絶えず変化をし続けている世界

変わらず“そのまま”でいようとすることは苦しいことです。

 

波動調整®は起こることを許していくことであり、

“そのまま”でいようとする”抵抗”に気づいていくことです。

 

今日の本題

 

以前、観測者問題について話をした時に

波動調整®の立ち位置についてお話しました。

 

(関連記事はコチラ:観測者問題と波動調整®の立ち位置

 

その時にお話したのが『創造』『造物』の違い

 

 

今日は『観測者』とは誰なのかという話です。

 

 

観測する人の意識で波動が収縮して粒子となる。

 

 

とするならば、

 

その観測する人はどこにいるのか?

 

 

この観測者問題が謎のまま・・・

 

 

それは観測をする側の存在が

観測される側と同じ場にいるように捉えているから

 

空間があって観測するものがあって観測されるものがある

この3者が同じ次元世界の存在として考えているから

 

そう考えると観測する側を観測するものが分からない。

 

 

観測者を観測者として観測している意識。

 

 

観測している自分という存在を

観測によって世界の中に認識しているのは

いったい誰の意識なのか??

 

 

観測者が観測される対象と

同じ場・同じ次元にいたら

観測という行為はできない

 

 

仮に人が森の中にいるとして

森を森として認識すること

その中にいてはできません。

 

 

森の上から森を見ることで

はじめて森として認識することが

できるようになるわけだから。

 

 

観測している自分の存在を

観測される対象として

観測している自分というのは

 

 

同じ場・同じ次元に居る存在ではなくて

上から観て全景として観測している自分。

 

 

量子力学世界の枠組みの外から

その次元を覗き込んでいる存在

 

 

それは恐らく【最終観測者】として

仮定されるようなものの存在であり、

 

フォン・ノイマンが【抽象的自我】と呼んだ

それに近いような感覚のものであろう。

 

 

観測している自分を

観測される対象として

認識している自分です。

 

 

3次元を体験している自分を

認識して観ている高位の自分

 

 

 

波動調整®で想い出していく“本当の自分”というのは

 

この次元を体感しているキャラクターとしての自分であり、

そのキャラクターを動かすプレイヤーとしての自分であり、

創造し終えた世界をただ観ているクリエイターとしての自分

 

それら 三位一体としての自分の在り方 です。 

 

1つの次元に囚われ続けるのではなく

見えている世界だけに縛られるのではなく

 

自分を自分とする自分を超えた

 

この世界を創り、この世界を体験し、その世界をただ観ている

 

そうした意識に気づいていくことです。

 

そうした本当の自分の望みに気づき

きちんと世界を味わっていくこと

波動調整®をしていく本当の目的です。

 

 

さて、今日は量子の場における観測者の話から

三位一体である本当の私の世界について触れました。

 

また次回も違った角度からお話を深めていきたいと思います。

 

今日も長文を最後までお読みいただきありがとうございました。