「純化」と「鈍化」:学びを見極める2つの方向性
Dear Friend
まいど まなお でございます。
今日も PWEPしてますか??
ジプシークイーンといったら
言わずと知れた中森明菜ですが
まなおも負けず劣らず
セミナージプシー
先週は、なんか途中で飽きちゃって
3年間放置していたNLPのマスターコース
でもいい加減終わらせようと参加してきて
久方ぶりに俗世間の人と会った気がしましたw
そんな学びを始めた昔は
何のリソースも感じられない
人生の先行きが全く見えない
自己卑下の権化
あの時のまなおの感覚は
まさに”難破船”
そんな頃から始まって
本当にいろいろ学んで分かったのが
世の中の学びには大きく分けて
2つの方向性があるんやということ
一方は
『鈍化』
一方は
『純化』
漢字で書くと
似たようなもんだけど
その2つには
大きな違いがある
“方向性の違い”
それはいつでもバンドの解散理由で
それくらい相容れないものなはず。
『鈍化』と『純化』
自分がどっちの方向性のことをやってるのか
それをしっかり識る必要があるように思う。
昔、“死ぬこと以外かすり傷”と
何があっても傷つかない・動じない
そんな成功者という人に憧れた時期があった。
でも、いまはハッキリと違うと感じる。
そこにあったのは
完全なる
『鈍』
自分を鈍らせる
感覚を鈍らせる
マヒさせていく。
観念を強化して
鎧を纏っていく
武器を手に取っていく
外側を制していく
それが『鈍化』
分離を極めていく方向性
やっぱり不自然だし
常に気持ち悪さが付きまとう。
僕は違う方向性がいい
『純化』の方向性
観念に気づいていく
鎧を脱いでいく
内外の隔てを無くしていく
感覚をシャットアウトしないで
すべてを真正面から感じていく
傷ついたっていい。
涙を流したっていい。
落ち込んだっていい。
感じちゃいけない感情なんてなくて
それを誤魔化す方が気持ちが悪い
(飾りじゃないのよ涙は)
そしてそれを受け容れていく
そんな『純化』の方向性
そして、裸になって
本質(純粋性)が
湧き上がってくる方向性
常に自然体であるということ。
もちろん『鈍化』する
ごまかす方向性も必要な時期もあるけど
でもそれは真っ逆さまに落ちるDesire
たぶん魂が本当に求めているのは
いっちばん『純』な自分に還ること
嘘のない自然な自分でいることじゃないかな?
社会の中で上手くこなすための仮面を被ることや
見たくない感情に蓋をして強がることじゃなくて
些細なものでもしっかり味わう自分
どこかに置いてけぼりにされてる自分
そこをちゃんと観じていくことじゃないかな??
僕が波動調整®をやっている理由は
余計なことを脱いでいく
自分への嘘を止めていく
まっすぐ感じて受け容れいく
そんな自然な在り方の追求だから
別に何のツール・セミナーでもいいけど、
それが『鈍化』か『純化』か
どっちを向いているかを感じることをお勧めします。
まぁ、世の中いろいろ玉石混交で
出回っては消えを繰り返されていて
その中から本物を見分けるのは難しいけれど
誘い誘われても カーニバル
迷い迷わされても カーニバル
踊り踊らせれても カーニバル
“夢ね夢だけよ今夜は”って楽しむのもいいけど
それはあくまで魔法にかかった異国の夜の街
そんなところに私たちの本質はあるはずもなくて
きっともっと近くて深くて静かなところじゃないかな。
明菜ネタの収拾がつかなくなっているので
今日はこの辺にしておきましょう。
ではみなさん アモーレ
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今日の問いかけ
自分を鈍化させてしまっていませんか?
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