まなお史上最大の悟り
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まいど
まなおでございます。
「じかん」を実感してますか?
今日もしょうもないこと書いて参ります。
今回も無駄に配信のメルマガについて
解説動画とイベントの解説動画作ってます。
もし暇があったら観てくださいまし
というわけで本題
今日のお話は
冗談抜きで
まなお史上最大の悟りw
正直、これまで
いろいろな学びがあったけど
探していた答えのようなものが
ついに見つかってしまった
そんな気がしています。
最初にこれに気づいたとき
ハッとして
グッときて
パッと目覚めた
そんな感じがしたのです。
スピリチュアルな世界で
よく為される表現として
すべては『愛』である
すべては『光』である
これらって言っていることを
頭では何となく分かるのですが、
自分の中に落とし込まれることは
今の今まで一度もありませんでした。
読者の皆様の中では
実際のところいかがでしょうか?
『愛』や『光』を感じてますか?
僕らの最もベースにあるもの
それはいったいぜんたい何なのか!?
これまでの僕の学びの歴史は
本当によく分からず脈絡もなく
興味あるもの、面白そうなものを
とっかえひっかえしてきました。
その結果として
ハイブリッドの良いとこどりのはずが
まったく基礎部分が構築されていない上に
すべてがグチャグチャに積みあがっただけ
そんな想いが常に付き纏っていました。
言葉尻だけの空虚な真実だけがある
そんな感じでどこか確信の持てない
そんな感覚を拭い去ることができませんでした。
ですが、最近
それに強い確信を持てるようになりました。
(もちろん勘違いかもしれません)
自信が確信に変わったのは
イチローを3三振に抑えた時の松坂大輔ですが
(現役引退お疲れさまでした。青春でした)
この度、妙な確信を得てしまった まなお です。
その核心となった言葉は
以下のたった一言だけ
(いのち)
『わたしは生命である』
何を隠そうこの一言こそが
まなお史上最大の悟りです。
「愛」や「光」と同じレベルで
何度も目にしてきた言葉だったはずですが、
とある本の中でこの言葉を観た時に
スッコーーーーンっと
頭をハンマーでぶっ叩かれ
ビリビリビリビリーっと
全身を稲妻が駆け巡ったのです。
(You’re Rolling Thunder)
超絶に使い古されている言葉かもですが、
私、まなおにはドンピシャでヒットしました。
その私を導いてくれた一冊の本を
この場を借りて紹介させてください。
M・マクドナルド・ベイン著
『心身の神癒-主、再び語り給う-』
これは導かれるままヒマラヤで修業を重ねた
著者を通してイエス大師が直接語られた
一風変わった講演の記録とされています。
正直これ、ヤバいやつです。
私たちの本質は何なのか
「生命」とは何なのか
とても力強く語られています。
後年になって
「ディヴァイン・ヒーリング」という
タイトルで違うより平易な翻訳本も出ていますが、
個人的には断然『心身の神癒』の方が好きです。
せっかくなので、
いくつか引用させてください。
第1話
89 愛は力であり、生命の真の顕現である。
愛はその源泉より絶えざる流れとなって注ぎ出て
真に実在しうる唯一の力である。102 神はみ霊(たま)にして、み霊は生命である。
生命は愛にして、愛はありとあらゆるものの中にある
生かす力であり、あらゆるものの中にある調和である。
第2話
23 肉眼を持って事物を観れば事物が事物として感じられ目に見えるが故に、それを本物だと人は云う。しかし彼の見ているのは、不可視のままにとどまっているより大なるもの、即、創造力、生命、宇宙の内奥に存続する唯一の力、が外側へ顕れたものに外ならない。この力こそあなたたちやわたし、更に又生きとし生けるものの中にあって生きている生命原理である。この生命が愛であり、この生命が平安である。『わたしは生命である』。
46 あなたたちは、神が一切の生命であり、この生命は目に見える、或いは目に見えないが、完全なる愛であることを学び知るのになぜこんなに長くかかるのだろうかと、よくいぶかったりするが、それは、真理を内からではなく外からつかもうとするからである。
92 人は自分自身の想念によって自分の獄壁を造る。自分で造り出した観念によってその通りに制約される。あなたたちの造り出す観念の中最大のものでさえ実は一箇の制約でしかないのである。問題は、生命とは何かを論うことではなく、これが生命であると身をもって断定することである。
第3話
47 生命である神霊によらないで存在するようになったものはひとつもない。生命の顕現程度は、生命を認め、生命を表現することによって理解される。
第4話
32 あなたたちは生命である、あなたたちは全能者の生ける表現である。あなたたちの裡なる生命はわたしの裡なる生命と全く同じである。これが神我であり、わたしは生命であるこの神我より語っているのである。
第6話
8 その本当の意味が解らなければ『吾、実在の中に在り』という言葉は出せない。”I AM”という言葉の意味が解って始めて、あなたたちは力の言葉を学び取ったことになるである。『わたしは生命である』。神の生命がわたしの中で生き給うが故にわたしは生きている。生命は神であり、神は生命である。
出典:著者名M・マクドナルド・ベイン 「心身の神癒」 霞ヶ関書房 2007年第10版
以上のような具合で、
一話につき100~130くらいの文章が
全14話に亘って展開されているという本です。
正直コレ
控えめに言って
『座右の書』
(あくまで個人の感想ですw)
『わたしは生命である』
この生命という言葉を
どんなレベルで捉えて頂くは
読者の皆様、各々に委ねますが、
まなお的には完全に
パウロ並みに目から鱗
圧倒的な印象を抱きましたし、
自分自身が生きていることが
喜びに満たされているのだと
とても強く感じられた次第であります。。
もし仮に
LOVE ⇒ LIFE
この置き換えが言えるとして、
すべてが「愛」であり「生命」なら
すべてが等しく平等であるということや
慈悲という感覚が自然と芽生える気がして
スピリチュアルで言われている世界が
より身近で確かなものに感じるのです。
(まぁ、あくまで勘違いかもですがね)
ただ、
自分を貫く生命が基調となって
その生命が絶対的に信頼できて
自ら流れ出る生命の表現があるのならば
この身をそれに預けるだけではないか
そう考えると難しいことは何もいらなくて
より自然な生き方ができるのではないかと
ふと思う、まなおでございます。
最後に同じくマクドナルド・ベインの別の著作
『神癒の原理』の中の印象的な一文を引用して
今日の話を締めたいと思います。
(こちらはイエス大師ではなく御本人の言葉ですw)
生命のあらゆる瞬間を、無為自然(むいじねん)
【何もしなくてもおのずから】に、十分に生きること
ーこれこそが真理のもたらす自由である。ー
というわけで
今日の話はここまで
あなたの中で
すべての根底にあるもの
それは何ですか?
『わたしは生命である』
この言葉が真実かは分かりませんが、
自分を流れる『生命』ってやつのこと
少しだけ考えてみて頂けたら幸いです。
それでは
今日も最後までありがとうございました。
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