『じかんの家』が生まれるまで②

 

こんにちは、じかんの家の家主まなおです。

 

前回の記事に続き、

この『じかんの家』が誕生するまでの経緯について

今回も語っていきたいと思います。

 

前回の記事は

なぜ、こういった場を提供しようと思ったのか!!

 

そのきっかけになった出来事と開業にあたっての

根本に流れている想いみたいなものを共有させて頂きました。

 

(前回の記事はこちら:じかんの家が生まれるまで①)

 

今回は開業後の流れについて共有させて頂きたいと思います。

 

始まりは日吉の地

 

いまの『じかんの家』というのは

横浜市港北区の綱島(つなしま)という街にあります。

東急東横線で急行が止まる利用者の多い駅の1つです。

 

実は初めからこの地で開業したわけではありません。

 

最初に部屋を借りた場所が

東横線で1つ渋谷寄りにある

 

『日吉』駅から10分ほどの家でした。

 

(慶応の付属の普通部の校舎の真裏くらい)

 

慶応大学のある活気のある賑やかな学生街でした。

 

この地で『横浜ヒーリングステーション』という名で

2015年の5月に初めてサロンを開業しました。

 

みんなをつなぐ駅のように

Y H S:横浜ヒーリングステーション

 

今となっては少し恥ずかしい感じもしますがw

 

当時は今よりも ”ヒーリング”

癒しというものに重点があったように感じます。

 

いま現在お伝えしているもの以外にも

アロマやカラーセラピー、マクロビの会なども

幅広くやっていましたから・・・

 

そうしたことをやっていくこと以上に

 

地元であり大好きな横浜の街で

多くの人が集まって時間を共有する場所。

 

ステーション=駅という言葉は

そんな願いもあって名付けたものでした。

 

(大学の時の専攻も交通学でしたしw)

港北というエリア

 

『じかんの家』がある綱島の街も

以前のサロンがあった日吉の街も

 

いずれも横浜市の港北区に属しています。

 

まなおの生まれ育ったのは横浜市の南区で、

 

その他、母親の実家は磯子区でしたし

中学・高校は緑区にある学校でしたし、

信金時代は金沢区や旭区にある店舗に配属でしたし

中区の石川町や港南区の上大岡にも住んでいました。

 

横浜と一口に言っても、とても広いわけですが、

開業するにあたっては港北というエリア

ある程度こだわって物件を探していた自分がいました。

 

当時は様々な勉強会・セミナーに通うのに

東京方面・渋谷 新宿 池袋方面へも簡単に出れるという、

アクセスの利便性と立地条件が最大の理由でしたが、

 

実際に暮らしてみて

子供の数も多く公園や緑の環境も確保されていて

また、生活必需品も簡単に揃う便利さもあり、

個人の飲食店や歴史のある喫茶店が多かったり、

その生活環境の良さを、とても魅力に感じています。

 

『日吉』から『綱島』へ

 

少し話が脱線しましたが、

はじめは『日吉』の街で部屋を借りて開業しました。

 

(なかなか怪しげな業種なので中々借りれる物件が少なかったのは良き思い出)

 

とても便利な立地で何の不自由もなく

これからも続けていく予定だったのですが・・・

 

ひょんなことから家を買う流れとなりまして、

日吉からそう遠くない場所で物件を探していく中で

いまの『じかんの家』の物件と出逢うこととなりました。

 

それが2017年の11月のこと。

 

綱島の街に場所を移したことをきっかけに

いま現在の活動内容と照らし合わした結果、

 

「横浜ヒーリングステーション」改め

『じかんの家』へと名前を改めて、

新たなスタートを切ったのでした。

 

 

一駅の違いなので、これまで来てくださっていた方も

有難いことに継続的に足を運んで頂けていますし、

また、新たなご縁を頂くことも増えてまいりました。

 

今では鶴見川沿いを散歩するのが日課のようになっています。

 

長々と書いて参りましたが、

今回の記事では『じかんの家』が

綱島(つなしま)の街で誕生した経緯と、

最初に開業した時のことを共有させて頂きました。

 

また引き続き書いて参りますので、

お付き合い頂けたら嬉しい限りでございます。