“怖い”と向き合う時間でした
こんばんは!石川 佳奈です。
台風24号で被災された皆さま、
心よりお見舞い申し上げます。
横浜・綱島にある我が家はお陰様で
大きな被害はなく無事過ごしています。
当日昼間は台風が来るのに備えて、
準備をしていました。
ニュースを観ていると今回は
特に暴風がすごいという様子だったので、
鉢を家に入れたり、
物干しを収納したり、
窓に養生テープを貼ったり。
我が家は都市型3階建の一軒家で、
両隣は2階建、3階の窓はシャッターなし。
飛散防止ガラスフィルム貼っといた方がよかったね
と話しつつ、気づいた時は雨も降り始めてたので
今出来ることをと、
養生テープで米印に貼ったりしてました。
具体的な危険が迫っている時は、
具体的にやれることをやる以外ないんですよね。
準備をする中で焦るでもなく、
気になることをネットで調べてはできる事をやり、
ついでに気になったところを掃除したりして
淡々と過ごしていました。
出来ることはやったし、
これで何か起きたら仕方がなしと夜を迎え、
とりあえずはベッドへ。
しかし、
いつもは3階で寝ているのですが、
風が直撃するせいか音がすごい。
時々、何かがぶつかる様な音もして
落ち着かなかったので、
今日は下で寝ようと2階へ移動。
2階は3階に比べればマシでしたが、
それでも音がすごくて、
怖さを感じながら、
台風情報をチェックしていました。
“怖い”と湧いてきたなら、
“怖い”を味わうしかありません。
逆を言えば、
“怖い”と向き合う時間だったのかもしれません。
今回、台風が来る準備をしながら改めて思ったのは、
当たり前ですが、自分の力で生きているのではないのだということ。
例えば川が決壊したとか、
下水が逆流してきたとか、
ある程度まではどうにかなっても、
自分の力の及ばない範囲があるはずです。
日常生活でスマホ1つで手元に物が届くような便利さの中で
自分の力で物事がコントロールできるような
錯覚をするかもしれません。
でも、それだって色々な人の関わりがあるから
スマホ1つで手元に物が届くわけです。
自分がしているという“我”の意識から、
自分が様々なものを通して生かされている
“お陰様”の存在に気づいていく時期なのかもしれない、
(古くから「陰」は神仏などの偉大なものの陰で、
その庇護(ひご)を受ける意味として使われているので、
本来、人や物が対象ではないです)
そんな事を思った台風24号の一夜でした。