どんなときも・どんなときでも


しゃれになんないよ なんないよ

悪い夢ならば 早めにさめてと

呪文のように 叫んでる

 

真実を知ることが こんなに辛いなら

僕は スパイに なんかなれない


 

まいど、まなかなちゃんの旦那の方

 

どんなときも まなお でございます。

 

 

冒頭は槇原敬之のSPYという曲の歌詞です。

 

懐かしいですね。

 

 

というわけで歌詞の通り

 

いろいろなことが

あまりにしゃれになりません。

 

 

台風の爪痕も北海道の地震も・・・

 

 

あさ目が覚めて

 

ただただ驚きました。

 

 

多くは語りません。。。

 

 

 

それらが人工だなんだって・・・

 

それらが陰謀だなんだって・・・

 

それらがサインだなんだって・・・

 

それに便乗して騒ぎ立てる気もしません。

余計な意味づけをして仮想に浸る気もしません。

 

そこで戦うことはもっともっと意味がないからです。

 

 

結局のところ

 

どんなときも

 

出来ることは1つだけ。

 

 

まなかなの2人は

お陰様で無事に過ごしています。

 

 

といっても、

今回はギリギリ紙一重でしたが・・・

 

 

前回の記事の通り、

2日前までは黒姫高原にいました。

 

 

現地での講座を終えて帰路についた

 

月曜日は台風の影響もなく、

 

こちらに帰ってくることができました。

 

 

あと1日遅かったら・・・

 

昨日の講座にも間に合わなかったでしょうし、

いまここで家にいることはなかったでしょう。

 

 

 

正直、助かりました。。。

 

 

 

こういう時は多くを語る気はありません。

 

 

相変わらずですが、

 

被災地の方に「愛を送ります」なんて

ヒーラー気取りの勘違い野郎になり下がって、

気休めにもならない気安い便乗商法はとれません。

 

 

どんな時にでも1キャラクター如きが

「現実を自由に創りかえられる」なんて

寝言をほざく嘘くさい賢者になんてなれません。

 

 

自分だけが安心安全でよかったと、

「結界や祈りによって避けられた」などと、

自己都合で世界を切り取ることはできません。

 

「それぞれのシナリオ通りだ」などと、

エセ悟りの境地の運命論者を気取れません。

 

 

もちろん“負けないで”・”がんばれ”なんて

外野の端っこから無責任な声を送れません。

 

 

 

どんなときもできることは1つだけ

 

 

 

私たちに観て受容できるのは

 

この瞬間の内側の反応だけ

 

 

外側の事象は受け容れることは

どうやったってできないのですから。

 

そうしたときに初めて

その先の選択が選べるはず。

 

 

 

なので、

 

真偽不明の報道を観る度に、

外の風切り音が聞こえる度に

外野に湧くしょうもない人を観る度に

自分に出てきているものを味わっています。

 

 

そして今日のこの時間に

しょうもないことを書き綴っています。

 

 

いつでも明日は我が身です。

 

 

その中で、ただただ案じています。

 

 

これまで『縁』あって出会った皆様の

その身の安否を純粋に祈っています。

 

 

関西にも北海道にも出逢ってきた人がいます。

 

また元気に逢えれば嬉しいです。

 

 

いまはただそれだけです

 

あまりしゃれにならないので、

シャレを言うつもりも起きません。

 

 

エセポジティブで強がるのも

楽観論者を気取るのも気持ちが悪い

 

 

僕の背中は自分が思うより正直かい?

 

 

こんな時に”どんなときも”の

歌詞の一行目だけが頭をよぎりました。

 

 

しゃれにならない時だから感じます。

 

 

きれいな世界だけを語るのは汚い、と

見えない世界だけを語るのはズルい、と

一方的に世界を切り取るのは恥ずかしい、と

 

 

なので、

 

どんなときも

 

いまの自分に正直に

 

いまできることをしていきます。

 

 

もし私にできることがあったら言ってください。

 

どんなときでも出来得ることをしますから。

 

 

 

それでは今日はこの辺で

またお目にかかりましょう。

 

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今日の問いかけ

 

目の前が観えていますか?

 

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